胡椒、少々?

今週気付いたこと、書き連ねます(今週とは言っていない)

鳥取の飢殺し

鳥取の飢殺しなるものを知った。

天下統一を目論む豊臣秀吉黒田官兵衛を軍師に据えて、籠城する山名の家臣の吉川に策して行った兵糧攻めのことだが、これがとても面白い。

恥ずかしながら私の戦国時代の歴史の知識は、真田丸を見た、ぐらいのものなのだが、官兵衛の天才たる所以と言うか、戦国時代を生き抜いた人間たちの情け容赦の無さが、この戦法からとても色濃く感じられる。

今回はそんな鳥取の飢え殺しを簡単に解説させていただこう。

 

まず黒田は鳥取城を攻めるにあたって、米を相場の倍値で買い占める。

もうこの初手がすごい。人間、目先の得に捕らわれてはならないなんて言うが、これが目先の得とまで分かるものか。

売った側の人間たちは、この時点で黒田の術中にハマっていること、そして終わりの始まりの第一歩を踏み出したことを想像できるはずがない。現に、籠城用の兵糧も売り払ったとも伝えられている。

また、この手を打った時点で、黒田はどこまでの情報を予測して見立てていたのか計り知れない。

次に黒田は鳥取城の包囲直前に、周辺の農村を焼き払う。

家を失った農民は鳥取城へ逃げ込む。これでもう城内の人口は急激に膨れ上がっちゃったわけ。

さて、ここで兵糧への危機を持った吉川は、入手するための手立てを講じるが、豊臣家の精鋭土木建築集団が14,5の砦を急ピッチで建てて包囲。水上ルートも封鎖する。

もうこの時点でチェックメイトである。

打つ手もなく、完全に孤立化した島根城には、昼夜を問わず威力偵察が繰り返され、助けを求めて城を出てくる人々は銃撃される状態が続く。兵糧が尽きた城内は地獄絵図となり、人の死体を食べて飢えをしのぐ状態となった。

ここらで降伏させる手もあったのでは、と我々に同情を買わせるのだが、歴史にそんなことを言っても仕方がない。それどころか、豊臣は城内から見えるところで宴会もさせたと言われている。成り上がりの豊臣が行う戦いには、容赦の無さが一味違う。

ただ、効率的に相手を完膚なきまでに叩きのめす兵糧攻めを追求したかのような実績が、この戦いには凝縮されている。

 

またそれ以上に、最近のなろう小説なんかよりも比にならないくらい、人間の行動心理を緻密に計算しつくした戦略だ。非人道的とか、残酷さを排して考えてみれば、なかなかに美しいものである。